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六代目山口組(ろくだいめ やまぐちぐみ)は、兵庫県神戸市灘区篠原本町に本拠を置く日本の指定暴力団。
組員は2008年4月現在、組長と舎弟10人、若中80人の計91人である。
組長を除き、これら90人の舎弟・若中は、それぞれが数百~数千人の構成員を抱える組織のトップである。2006年末、その構成員数は2万600人、準構成員数は19,100人の合計39,700人となり、その人数は全暴力団構成員数84,700人のうちの49.6%を占めている[1]。
傘下組事務所は広島、沖縄の2県を除いた45都道府県に置かれていると言われる。
「山口」の2文字を菱形にデザインした「山菱」と呼ばれる代紋を用いている。
略歴
初代山口組
大正4年(1915年)、山口春吉が、神戸市兵庫区西出町で港湾労働者50人を集めて、港湾荷役人夫供給業「山口組」を結成した。
詳細は山口春吉を参照
二代目山口組
大正14年(1925年)、山口登が、実父・山口春吉の引退により山口組二代目を継承した。
詳細は山口登を参照
三代目山口組
昭和21年(1946年)7月、山口組舎弟会が開かれた。山口登の若衆だった藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名は山田善治郎)が、山口組三代目に、田岡一雄を提案した。舎弟頭・森川盛之助、湊芳次ら全員が田岡一雄の山口組三代目就任に賛成した。これにより、田岡は山口組三代目に内定した。
詳細は田岡一雄を参照
昭和57年(1982年)6月、若頭補佐・山本広が組長代行に昇格し、同・竹中正久(竹中組組長)が若頭に就任した。
詳細は山本広を参照
四代目山口組
昭和59年(1984年)6月5日午後3時、山口組直系組長会で、竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。山本広を支持する直系組長は、直系組長会に出席しなかった。[2]
詳細は竹中正久を参照
詳細は中西一男を参照
五代目山口組
平成元年(1989年)4月27日、渡辺芳則が五代目山口組を継承した。
詳細は渡辺芳則を参照
六代目山口組
平成17年(2005年)7月29日、司忍が山口組六代目を襲名した。
詳細は司忍を参照
平成18年(2006年)2月、司忍は府中刑務所に収監された[3]。山口組若頭・髙山清司が、山口組運営を行うことになった。
詳細は高山清司を参照
綱領と組指針
三代目時代に制定された5条からなる「綱領」が、定例会など行事の際には唱和される。また、年ごとの「組指針」も定められている。
弱者を支援。阪神大震災では率先して被災者に炊き出し支援を行った。
六代目発足以降「警察官と接触しない」、「警察機関に人、物を出さない」、「警察官を組事務所に入れさせない」の三点を定め警察との距離をおいている。
歴代組長
歴代若頭
山口組若頭とは暴力団山口組の若頭で役職の中では組長に次ぐナンバー2である。
六代目山口組
親戚・友好団体
脚注
参考文献
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